コナミ Wiki
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コナミ及びコナミデジタルエンタテインメント2006年 - )のオリジナルキャラクターによるクロスオーバー作品のカテゴリ。他社作品にゲストキャラクターとして出演しているものは除く。


歴史[]

沿革[]

  • 1873年(明治6年) - 岩崎弥太郎が海運会社九十九(ツクモ)商会を三菱商会と改称し、海運と商事を中心に事業の展開を行う。
  • 1884年(明治17年) - 官営長崎造船所(現在の長崎製作所)を政府から借り受ける。
  • 1887年(明治20年) - 官営長崎造船所の払い下げを受ける。
  • 1893年(明治26年) 2月 - 三菱合資会社を設立。
  • 1917年(大正6年)10月 - 三菱造船として独立。
  • 1921年(大正10年)1月 - 三菱造船の電機製作所(神戸)を母体に三菱電機株式会社として独立。変圧器、電動機、扇風機等を手がける。 会社設立日(登記上)は1月15日であるが、創立記念日は2月1日とされている。 名古屋市大曽根に工場用地を取得し、本店は名古屋市に置いた(1922年(大正11年)に東京市三菱本館へ移転)。
  • 1923年(大正12年)11月 - 三菱造船長崎造船所から「電機工場」を分離独立し、後の長崎製作所となる。タービン発電機など大型重電機器を手がける。
  • 1924年(大正13年) 9月 - 初の自社単独工場である名古屋製作所を設立。
  • 1928年(昭和3年) - 国産初の幹線用大型電気機関車(EF52形)の開発を取り纏め、日立製作所、芝浦製作所(後の東芝)、川崎造船所(後の川崎重工業)と共同で完成。日本国有鉄道へ納める。
  • 1935年(昭和10年) - エレベーター、エスカレーターの一貫生産を開始。
  • 1946年(昭和21年) - 「ダイヤトーンスピーカー」の原型となる「ダイヤトーンラジオ」発売。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 太平洋戦争により中断していた米国ウェスティングハウス・エレクトリックとの技術提携が復活。8月にはWABCO社との提携も再開。
  • 1958年(昭和33年) - 三菱電機が中核となり三菱グループ25社で三菱原子力工業を設立。
  • 1960年(昭和35年) - トランジスタ式コンピュータMELCOM 1101を発表。
  • 1964年(昭和39年)
    • 企業スローガン「今日もあなたと共に」を制定。
    • 東海道新幹線に車両用電機品の他、列車集中制御装置、列車無線、変電設備等を納入。
    • 気象庁に富士山レーダーのシステム一式を納入。本事案は2000年に米国電気電子学会(IEEE)からIEEEマイルストーンに認定される。
  • 1966年(昭和41年) - (日本初の?)人工衛星搭載用電力機器を開発。TRWから受注しインテルサットIII号へ搭載する。
  • 1968年(昭和43年) - 企業スローガン「未来を開発する三菱電機」を制定(日本国外向けは「ADVANCED AND EVER ADVANCING MITSUBISHI ELECTRIC」)。
  • 1985年(昭和60年) - CIを導入、新企業スローガン「技術がつくる高度なふれあい SOCIO-TECH」を制定。
  • 1990年(平成2年) - この年の11月、当時の通信機器事業部長の発案で、AB型の血液型の社員だけを集めて「奇想天外プロジェクト」の頭文字を取った、KTPというチームを作り、アイデア・企画力に優れたAB型を利用することで、ヒット商品に結びつけようとした。
  • 1991年(平成3年) - 映画『シザーハンズ』(ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演)よりシザーハンズを広告に採用。「我が闇に・・・○○。」をキャッチコピーに掲げられ、カタログ等にも登場している。
  • 2001年(平成13年) - 創業80周年。コーポレートステートメント「Changes for the Better」を制定。
  • 2008年(平成20年) - 放送・通信衛星として初の国産衛星スーパーバード7号機(C2号機)を打ち上げ。
    • 3月 - 携帯電話端末事業から撤退を発表。
    • 10月 - 売り上げ不振で赤字が続いていた洗濯機の自社生産を完全終了。
  • 2009年(平成21年) - 環境ステートメント「eco changes 家庭から宇宙まで、エコチェンジ。」を制定。
  • 2011年(平成23年) - 創業90周年。
  • 2012年(平成24年)12月 - 洗濯機の販売を系列店「三菱電機ストアー」のみで再開(生産は日立アプライアンスへ委託)。
  • 2013年(平成25年)12月 - 個人向け液晶ディスプレイ事業、ブルーレイディスクレコーダー事業からの撤退を発表。
  • 2014年(平成26年)4月 - ブランドロゴを「黒色のMITSUBISHI ELECTRICロゴとスリーダイヤ」に国内外で統一。日本国内での広告活動も同年6月13日に新たに放映されるテレビCMから「黒色のMITSUBISHI ELECTRICロゴとスリーダイヤ」仕様のブランドロゴに変更<。
  • 2016年(平成28年)
    • 2月 - 2020年東京オリンピック・パラリンピックのエレベーター・エスカレーター・ムービングウォーク分野におけるオフィシャルパートナーとなる。
    • 10月 - LPGAツアーとして、「樋口久子 三菱電機レディスゴルフトーナメント」を開催(本大会は前年の特別協賛社であったロイヤリティーマーケティングから引き継ぎ、「樋口久子 Pontaレディス」から大会名を改称)。三菱電機の企業名を冠した日本国内でのゴルフ大会は、1997年までLPGAツアーとして開催されていた「三菱電機レディスゴルフトーナメント」以来、19年ぶりとなる。
  • 2021年(令和3年)
    • 1月15日 - 創業100周年
    • 7月2日 - 同年6月に発覚した鉄道車両向け空調機器の不正検査事案の発覚を受け、杉山武史社長(2018年就任)が引責辞任。
    • 11月1日 - テレビの家電量販店向け出荷を9月で終了したと発表。今後は三菱電機ストアー(系列販売店)だけでの取り扱いとなる(2024年〈令和6年〉3月まで)。
  • 2022年(令和4年)
    • 3月31日 - 京都製作所の組織を解消
    • 4月1日 -
      • ビルシステム事業を三菱電機ビルソリューションズに経営統合。
      • 三菱電機グループのソフトウェア開発会社6社を三菱電機ソフトウエア株式会社に統合。

出来事[]

時価総額で日立製作所を凌駕
2006年(平成18年)9月26日、バブル崩壊後初めて、時価総額が日立を上回ったことが話題となった。日立・東芝両社の業績低迷が報じられる中で、携帯電話や洗濯機等の不採算事業を大胆に整理し、資金と人材を得意分野に集中するという「事業の選択と集中」に成功して業績を伸ばした。
産学官連携の取り組み
2001年(平成13年)6月22日、三菱商事株式会社、東日本電信電話株式会社、東京工科大学と共に、産学官連携事業として生体認証技術(バイオメトリクス)利用による「未来型キャンパスモデル」構築のためのビジネス・コンソーシアムを設立した。

脚注プレビュー[]

  1. 神戸、長崎両製作所は三菱重工業から譲り受けたもの。
  2. ミラクルフェイスでは「我が闇に・・・見る。」(英語版は「In my darkness...See。」)、ミラクルプレイでは「我が闇に・・・録る。」(英語版は「In my darkness...Recording。」)、ミラクルショットは「我が闇に・・・撮る。」(英語版は「In my darkness...Take a picture。」)が用いられている。
  3. なお、2001年に制定されたコーポレートステートメントである「Changes for the Better」はブランドロゴ変更後も継続。
  4. 同時に三菱電機ビルテクノサービスは三菱電機ビルソリューションズに社名変更。


注意

制作・発売がコナミ・コナミデジタルエンタテインメントであっても、他社作品(媒体不問)のキャラクターのみによるクロスオーバー作品は対象としないで、上位カテゴリのCategory:コナミのゲームソフトに配置する。

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